音楽畑3 Bon Voyage
収録曲
- 1.彗星<ほし>伝説
- 2.フィレンツェー晩秋の街
- 3.Le Petit Bonheur
- 4.夢通り-1950,ニューヨーク
- 5.チボリ公園
- 6.ル・ローヌ(河)
- 7.渚にて
- 8.イスタンブールのバラ
- 9.修二会-火祭り
- 10.帰郷
LINER NOTES
彗星(ほし)伝説 Legend Of Comet
熱し易く、ノリ易い日本人の典型そのままにオーストラリアのパースへと、ハレー彗星を見に行ったのは、四月の九日。夜中にバスをチャーターして出掛けて行った山の中のキャンプ場。見上げれば満天の星。どれが星やら霞やら…。南十字星をやっと見つけて、その左側、8×30のニコンWFの視野に飛び込んで来たあこがれのハレーは、神秘的なグリーンとブルーの尾をひいて、天空を駆けていた。
昔、彗星の出現は不吉の前兆と恐れられ、さまざまな伝説をまとったこの星も、南半球の澄みきった夜空の中では、只々美しく輝いている。
フィレンツェ―晩秋の街 Firenze
イタリア・ルネッサンス文化の中心地、フィレンツェ。街全体が美術館のようなたたずまいで、「ボンテ・ヴェッキオ」「天国の扉」「ヴィーナスの誕生」等々、見なければいけないものだけでも、数えきれない。
僕がフィレンツェを訪れたのは、今からもう20年も前。歩き疲れた足をひきずりながら入ったリストランテ。食事を注文しておいてから手洗いに降りて行った地下がバー兼ビリヤード場になっていて、人相の悪い男達が4、5人たむろしていた。どこから見てもマフィアそのもの。その中のいかついのが一人こっちへやって来るではないか。こりゃイカン、どうやって逃げようかと思案する間もなく前に立ち塞がって、手を上げる、いやグラスを上げる。
「ローマ、ベルリン、トウキョウ!!」なーんだ乾杯か…。
旅はこれだから楽しい。
ル・プティ・ボヌール Le Petit Bonheur
スクワール・テオドル・ジュドラン4番地、パリ15区。
古ぼけたガス燈の点(とも)る小さな袋小路の四階、狭い木の階段を昇り切った一番右端のアパルトマン。僕が青春の三年間を過ごしたパリの部屋がそこに有る。
勉強部屋の前の窓と、廊下に有る小さな天窓から見える景色が僕のパリの全てなのだった。夏になると茜色の夕焼け空の中を無数の燕がとび交うのを、天窓から首を出して、飽かずに眺めたものだ。
パリは世界中の金持ちが集まってくる街だけれど、その頃のパリジャン達は、地味で堅実で日々の生活の中の小さな幸せを大事にして生きている人達が殆どだった。
夢通り―1950, ニューヨーク Dream Avenue
1950年代のニューヨークは素敵だったなぁ。
セントラルパークにカメラを忘れて夕方取りに行ってもちゃんと有ったし、月明かりの中、マンハッタンを一晩中そぞろ歩きしても安全だったし、なによりもあの頃は、マントヴァーニ、コステラネッツ、ドリス・デイ、ハリー・ジェイムス、フランク・シナトラ、まだみんな元気だった。
僕の音楽のルーツ、1950年代のニューヨーク。そのニューヨークの何処にでもあるありふれた小さな並木道。ロマンチックで懐かしい青春の「夢通り」。目をつぶれば何時でも、ほらそこに…。
チボリ公園 Tivoli Garden
北欧の小パリと言われているお洒落な町-デンマークの首都コペンハーゲン。
清潔で、美人が多い上に食事がおいしいときては文句なし。町の中心に有るチボリでカウント・ベイシーのコンサートを聞いたのは、ある夏の午後だった。
カンビールを飲(や)りながらの熱演。緑の木陰で聞いたミディアム・バウンス・ジャズは今も耳に残っている。
ル・ローヌ(河) Le Rhone
スイスの蒼き氷河に源を発するローヌの流れは、プロヴァンス地方を潤しながら中世の聖都アヴィニヨンを緩やかに流れ下り、その豊かな恵みを地中海に注ぐ。
ある時はおだやかに、ある時は陽光のきらめきをまき散らしながら、渓流となり、滝となって砕け散る様は、人の一生にも似て、美しくも又あわれ。
渚にて A La Plage
昔、「想い出の渚」という歌が有った。どんな曲だったかとんと想い出せないが、海型人間はだれでも自分だけの渚を、心の中に大事にしまっておいてあるものだ。
僕の渚は、メキシコのリゾート、カンクンの奥深い入り江に有る小さな砂浜。水の色が濃紺からエメラルド色に変る所に真白なリーフが有って、そこを波が無数の泡を太陽にきらめかせながら砕け過ぎて行く。テキーラ・サンライズをすすりながら、心地よい風に身をまかす午後のひとときは、至福の一瞬(シュープリーム・モーメント)。
イスタンブールのバラ Rose Of Istanbul
ここはシルクロードの終点、東洋と西洋が握手する所。
二千年の歴史と、旅人たちの夢をのせて、真赤な夕陽がボスボラス海峡に落ちて行く。
チャムルジャの丘に宵闇せまり、あたりにバラの香りが立ちこめると、イスタンブールの街に、夜の調べが流れはじめる。
修二会―火祭り Shunier
毎年三月に、奈良の東大寺二月堂で、「お水取り」の行事が行われる。
今年で千二百三十五回目にあたるという、気の遠くなる様な由緒ある宗教儀式で、正しくは「修二会(しゅにえ)」と言い、関西ではお水取りが終わらない内は春が来ないと言われている。
毎晩、夜を徹して行法が行われる訳だが、お堂のてすりで振られる松明(たいまつ)や、火天と呼ぶ鬼が、堂内を燃えさかる大松明をひっさげて駈けめぐる様を見ると、「お水取り」と言うよりもむしろ「火祭り」と呼ばれるにふさわしい。凍てつく様な星空の下、大松明からふり落ちる金銀の火の粉を見ていると、心は遠く、天平勝宝の昔にとんで行く。
帰郷 Welcome Home
楽しかった日々にも、やがて終わりが訪れて来る。
あの街角、あの山並み、と想い出が走馬燈の様に頭をよぎる中、ジェット機は故郷(ふるさと)の地に静かに舞い降りて、心は限りない安らぎに満たされる。
無事に我が家に辿りついた喜びと、旅の終わりの淋しさとが交錯して、想い出はすでに次の出発(たびだち)へと飛んでいる自分にいつしか気が附く。
人はこうして、一生終わりのない旅を続けて行くのだろうか……。)
※このライナー・ノーツは、CD制作当時に書かれたものです。