WORKSCD / DVD

音楽畑20 Comme d' habitude ~いつものように~

音楽畑20 Comme d' habitude ~いつものように~

発売日
2003.9.25
品番
WPCL-10028
価格
¥2,913(税抜) + 税

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収録曲

  1. 1.帝国に陽は昇りて
  2. 2.シーサイドブリーズ
  3. 3.天使の声
  4. 4.旅の愁い
  5. 5.雨の日はいつも
  6. 6.日々是好日
  7. 7.アリ イスマイル アバス
  8. 8.美しきランナー
  9. 9.ダウン ザ フェアウェイ
  10. 10.サニーサンデーモーニング
  11. 11.いつものように
  12. 12.アダージョ アングレズ

LINER NOTES

帝国に陽は昇りて Byzantinec (TBS-BS i 『東ローマ帝国』テーマ曲)

 ローマ帝国に東と西があることは学校の歴史の時間に習う。理解はしていてもその東ローマ帝国の首都がイスタンブールに有ったということが中々実感としてぴんと来ない。ビザンティンという語感とローマという響きが頭の中で一緒にならないのだ。何年か前にロンドンのアンテイクショップでビザンティンコインを買い求めた事が有る。鈍く光る金貨の模様を見ているうちに10年程前に訪れたイスタンブールの町並みを懐かしく思い浮かべた。西洋と東洋の微妙に入り交じった町並はまた是非行って見たい場所の一つだ。

シーサイドブリーズ Sea Side Breeze

 ハワイの魅力の一つに、顔をなでる海風が有る。砂浜にねそべりながらそよ風に顔をなぶらせているのはなんとも言えない気持ちよさだ。ハワイは別に海辺でなくても、いつも気持ちの良い風が吹いている。山側から吹いてくるのがコナウインド、海側からふくのはトレードウインドでトレードウインドの方は少し湿気が有る。いずれにしても人懐かしい、優しい感触の風だ。ハワイの人が空港に降りて最初にあの風をからだで感じて初めて故郷に帰って来たと実感するらしい。なにもハワイに限らず島だったらどこでもそういった風が吹くようで、そんな話をしていたら、作曲家の渡久地政信先生がそれは良くわかる、沖縄の空港へおりて生暖かい風をからだに受けると、ああ故郷に又戻ってきたんだなと思うとおっしゃっておられた。ところで僕たちはからだに当たる風を心地よいと思うけど、どうやらそれはフランス人には通用しないみたいで、片一方の窓からもう一方の窓に吹き抜けていく風のことをクーランデールと言っていやがる、特に年寄りはえらく用心する。風邪引きの原因になるということで、あわてて窓を閉める。風通しをわざと悪くする訳だ。 所変われば品変わるというお話でした。

天使の声 Voce Angelica

 「もし、その窓を開けてくれれば貴方は天使です」。留学中良く下宿のおばさんにそう言われたもんだ。これはフランス語のいいまわしのひとつで「いい子だからちょっと窓を開けておくれでないかい」と言う意味だ。最初は直訳して聞いていたから、僕は何度も天使になっていい気分だった。だれだって天使と言われれば悪い気持ちでは無いから、フランスでは良く使われる。子供なんかそうとう悪ガキでもたいがいの子は天使ということになる。天使はもともとあちらのもので、日本には天女はいるが、ああいった羽の生えた金髪巻き毛の子供はいない。ずっと純真なまま一向に年をとらないのは少し気持ちが悪い気もするけど、いろいろ罪を重ねて懺悔の一つもなさりたいかたは、ひとつフランスへ行って天使にでもなりましょう。

旅の愁い Lonely Traveller

 今年の夏はひどかった。車山のコンサートを終えてそのまま新宿経由で成田の全日空ホテルに入り、次の日の便でロンドンに飛び2日間のレコーディングを終えて日本にとって返し、成田からそのまま新潟へ直行、夕日コンサートを終えて翌日11日ぶりに自宅へ帰るという強行軍。みんなに「良く身体がもちますねー、もう若くないんだから」、と呆れられたりしたけど本人にしてみればそれ程無茶をしているつもりは無い。もともと好きな音楽をやっている上に旅行が好きときているから特に苦にはならない。又長年の習慣で何処でもすぐに寝る事が出来る。睡眠さえちゃんととっていれば、健康管理は問題なしだ。最近は少しへったけど、平均すると年間に60日は旅に出ている。家にいる時は殆ど書いているから、本当の意味で自由な時間が持てるのは旅先ということになる。東京では書くだけではなく電話もかかってくるし、打ち合わせや雑用でかなりの時間をとられるが、旅先では大体仕事は一つで、リハーサルやコンサート以外は自由時間がたっぷり取れる。普段めったに行かないデパートやブランド店なんかを冷やかすのもこういう時だけで、町を歩いていて、ふと見つけた素敵な公園やお寺なんかにふらっと立ち寄るのも旅先ならではの醍醐味だ。朝、ホテルで目がさめて朝食をとるも良し、そのまま又寝てしまうも良し、自由を味わいながら少し淋しさを感じたりするのもすごく良い。人は一生旅をしながらついの住み処を探すなどというが、まそれ程大袈裟で無くても、仮にこの町に生まれ住んでいたらどんな違う人生を歩んでいただろうなどと想像するのはこれ又すごく楽しい。

雨の日はいつも Rainy Morning

 朝起きて雨が降っていると、それはそれで良い感じだ。どうせならなまじ途中で止んだりしないで一日中しとしと降っていてほしいと思ってしまう。読書をするも良し、手紙を書くも良し、人生についてあれこれ思いめぐらすのも雨の日には相応しい。こんな日には自分の人生も少し悲観的な部分ばかりがクローズアップされて、何かちょっと悲劇のヒロインになったようで、それも又良い。雨に濡れた草木は緑が映えて、沈丁花も気のせいかいつもより香りが強く感じられる。

日々是好日 Another Beautiful Morning

 ロンドン便の機内で久しぶりに小津作品を見た。モノクロの細やかな美しい画面の中で淡々と平凡な日常が繰り返されて行く。そこではどんな事件や揉め事が起きても、家族で夕餉のお膳をかこめばすべては解決されてしまう。又明日からは平々凡々たる一日が始まって行くのだ。四角い画面の中でみんなニコニコと幸せな笑顔。そうなんでもない当たり前の毎日を送れることが、人生でもっとも素敵なことなのですね。

アリ イスマイル アバス Ali Ismaeel Abbas

 クエートのイブンシーナ病院の集中治療室の映像がテレビにうつしだされた。両腕を切断されてベッドによこたわっている少年アリ君はまだ12才。3月29日の米軍のバグダット爆撃で無くしたものは、両腕だけでは無い。父、妊娠5ヶ月の母、叔母やいとこ3人を含めて16人のすべてを亡くした。あのような映像を見てしまうと、どのような理由も戦争を正当化することは出来ないと思ってしまう。別にきれい事を言うつもりは無いが、子供の時の東京大空襲のシーンとダブラせて、戦争はやはり悪だとしか言いようがない。世界中のアリ君たちにとってはどんな慰めの言葉も、音楽も通じないと思うと、こうして音楽をやっていることすら空しくなってくる。

美しきランナー Beautiful Runner (TBS系列『ニューイヤー駅伝』テーマ曲)

 別に自分はスポーツマンでもなんでも無いが、スポーツは大好きで学校のクラブ活動では色々な部に入った。いずれも長続きしなかったが、まず軟式テニス、これはピアノの先生に止められて3日目に退部。次にどうしても泳ぎたくて水泳部に入部、それもまだ春浅き3月。勿論温水プールなんていう洒落たものは無いから練習からあがると冷え切った身体をすぐにドラム缶のお風呂に沈める。しばらくは何も感じ無いのが、どこか一箇所がチクっとして、それがチクチクっとなってからアチチチとなって風呂から飛び出すこととなる。いくら泳ぎが好きだからといってこれじゃ夏まで身体が持たないという事で、これ又2ヶ月で退部。次にものすごい美人の先輩がバドミントン部にいるのを見てすぐに入部を申し込む。これは取りあえず先輩が卒業するまでいたから1年はもった。いずれにしてもとても人様に申し上げられるようなスポーツ歴ではないが、学校はスポーツ教育に熱心でサッカー、ラグビー、マラソンなど叩き込まれた。サッカーとラグビーは好きだったが、マラソンだけはどうにも苦手だった。走るとすぐにお腹が痛みだす体質で、後半は何時もすごく苦しかったことを今でも沿道の景色とあわせて思い出す。それでもマラソンのテレビ観戦は大好きで良く見る。最近はやはりどうしても女子のほうが優勢なので、つい女子マラソンにチャンネルを合わせてしまう。走る辛さがわかるだけに、あの規則正しいストライドの走りは感動的な美しさで、なにか崇高なものすら感じる。見ていると、簡単に走れるような気がするけどあの横腹の痛さを思い出して、すぐにギヴアップ。僕にとってスポーツ選手はいつも尊敬の対象だ。

ダウン ザ フェアウェイ Down The Fairway

 ゴルフを始めて一体何年になるんだろう。絶望的に進歩しない。あんな単純なスポーツが、なんであんなに難しいのか、いや単純なもの程難しいということなのか。最近はますます下手になってこの何年かで100を切った記憶があまりない。まことに意地悪なゲームで仕事がうまくいかない時に気晴らしで行ったりして、スコアが悪かったりすると、おれは仕事も駄目だけどゴルフも駄目だと、ますます落ち込むことになる。じゃ、ゴルフなんかやめちゃったらいいのにとおっしゃるがそうも行かない。思うようにならないからこそ面白いなどと変な理屈をこねながら誘われると、寝不足の目をこすりながら、いそいそと出掛けてしまう。最近はなにかもう業のようなものすら感じる。

サニーサンデーモーニング Sunny Sunday Morning

 音楽の発生についてはいろいろと意見の別れるところだが、リズムの起源が心臓の鼓動に有ることにはあまり異論が無いようだ。興奮したりすると心臓の鼓動は早くなり、それにつれてドラムのリズムも細かくなる。特に最近のような高ストレスの社会に住んでいるとどんどん身体のほうで細かいリズムのものを要求するようになる。昔、4ビートのチャールストンで充分に楽しんでいた若者が8ビートのマンボやロックを好むようになり、ついには16ビートまで行き着いてしまった。どうも最近の音楽は、などとまゆをしかめる中高年にとっては、音楽の好みの以前に身体のほうがついていかないというのが本音だろう。それでは、という訳で2ビートのなつかしめの曲を作ってみました。お天気のいい日曜日の朝に、コーヒーでも呑みながらゆったりとした気分でお聴き下さい。

いつものように Comme d' habitude

 これって、ライフワークですよね? と言われながら気が付くといつの間にか20年の年月が経っていました。もともと照れ屋だもんだから、ライフワークなんて言うおおげさなものじゃ有りませんよ、とか言っていたのに20年も経ってしまえば、矢っ張りライフワークということになってしまうのでしょうか。まだまだ書きたい音楽って一杯あるのに、人生はあまりにも短すぎるのです。音楽畑だけで僕のすべてを判断してほしくない、といくら叫んでみても、これだけは音にしてみないと誰にも判って頂けませんよ、と言うことで一応この20作目を記念回として、音楽畑の書きおさめということに致しました。少し淋しいけど、僕にとって次のステップに進むための重要な儀式なのです。ということで今回のこの20作目、当然いつもより力が入ってなんかマイウェイみたいな力作が並ぶんでしょうねー、とスタッフに言われました。マイウェイねー、うん矢張りマイウェイかな、と一度はその気になったのですが、ほらもともと照れ屋でおおげさなことが苦手な性分ですから、肩の力を抜いて何気なくいつものようにやりましょう、その方が僕らしいそうだそうだと、やや低きに流される感も有りましたが、タイトルまで「いつものように」ということになりました。Comme d' habitudeはフランス語の直訳ですが実際に同名のシャンソンが存在します。ポール・アンカの素敵な詩がついて「マイウェイ」に生まれ変わりました。照れ屋のハットリが考えたこのせめてものダブルミーニング、ご理解頂きたく存じます。いつものように淡々と書きつづった11曲に隆之が一曲花をそえてくれました。なにやら私のレクイエムのようにも聴こえますが、その質問には少しうろたえながらも、隆之は強く否定をいたしております。どうも年を重ねると人はだんだんひがみっぽくなるようです。いつもの曲に、いつものタイアップ曲もチャンと入っていつもの仕上がりになっています、いつものように安心してお聴き下さい。このようにいろいろと決意を固めたものの、何年かして音楽畑21なんかが突然発売されたりしても、これも又いつものように笑ってお許し下さい。

アダージョ アングレズ Adagio Anglaise to the Stars

 最後の音楽畑。オヤジへ…。そんなことを思い浮かべていたら、このような曲になってしまいました。オヤジより僕の方がちょっぴり感傷的なようです。服部隆之

※このライナー・ノーツは、CD制作当時に書かれたものです。