音楽畑14 Lotus Dream
収録曲
- 1.夕映え
- 2.ロータス・ドリーム
- 3.スターライト・ラウンジ
- 4.心の旅路
- 5.タンゴ・クラシコ
- 6.響
- 7.きらめきの渓谷
- 8.想い出のワルツ
- 9.やすらぎを求めて…
- 10.ロータス・ドリーム
- 11.モーニング・ブリーズ
LINER NOTES
夕映え Sunset Moment
子供の頃から、僕は夕暮れ時が好きだった。真っ赤に落ちて行く夕日を見ながら明日はどんな一日がやって来るんだろうと思ってみたり、きらきら光る夕焼け雲の下にはどんな世界が広がっているのかを想像したりしたもんだ。日本人は昔から四季豊かな国だけあって、自然を表す言葉が多い。夕方を英語で言えば、せいぜいNight falls,Evening,Sunset,ぐらいのものだが、日本語で夕のつく字を一寸調べてみてもなかなかのもので、夕風、夕靄、夕闇、夕煙、夕景色、夕焼け、夕映え、夕凪、夕立ち、夕蝉、夕霧、夕暮れ、夕明かり、夕月、夕蔭、夕煙り、夕波、とまあ枚挙にいとまがない。お暇な方は辞書でもひいてみて下さい。ものみな夕映えにつかの間あかく照り映えて、それがいつの間にか夕闇に薄暗く溶けて行くさまは、まさにジャパネスクの極致と言って良いでしょう。
ロータス・ドリーム Lotus Dream (テレビ朝日系列ドラマ『新・御宿かわせみ』テーマ曲)
お気付きになったでしょうか、今度のジャケットが厳密に言えば野菜では無いことに……。そうなんです、一作目から続いた野菜の伝統がここで崩れる事になりました。ところで覚えています? 11作目のあの蓮根、白木の板の上に薄くスライスした良く言えば上品、悪く言えば全く目立たない地味ーなジャケット。あれが実は一寸売上枚数的に問題が有ったんですねー。勿論僕自身はあのジャケット好きだったし、音楽の内容も自分から申し上げるのもなんですが完璧だったと思うし、どちらかと言えば今まで14作の中でも思い入れの深いアルバムなんです。それで色々調べてみたんですが、矢張り赤系やオレンジ系のものの方が数字的には良いみたいなんですねー。なんだみんな! 内容なんかどうでもいいんだ! ジャケットが派手ならそれで買うんだ、と怒ってみたものの落ち着いて考えて見たらそれはそうですよね、どんな音楽がはいっているかは誰にも分かりませんからね。そこですぐにアートディレクターの浅葉克己さんに、ねえねえなんでも良いから派手なの造って、とお願いしてこんな感じになりました。ま、チューリップとか薔薇とか言うんじゃなくって、野菜の花だと言う事で勘弁して下さい。さてこの蓮の花、個人的には大好きな花の一つです。何かあの大輪の紅色の姿に一つの宇宙を感じてしまう。東洋でも西洋でもなく時間も超越して水の上に凛として又時には嫋やかに、たゆたっている姿は本当に美しい。出来れば世間の煩わしい事は全部忘れてピンクの花弁に包まれていつまでも睡りたいと思ってしまいます。
スターライト・ラウンジ Starlight Lounge
最近、銀座のバーや、カラオケ屋で酒を煽るなどと言うのは、あまり流行らなくて一人静かにホテルのラウンジで杯を傾けると言うのが女性の間で密やかなブームになっているそうだ。 どっしりとしたチーク材かなんかのカウンターの向こうには、昔何かあったげなロマンスグレーのバーテンダーがいたりして、カウンター越しに色々と酒の解釈やら、人生相談までのってくれるのもなかなか乙なもんです。待ち合わせの彼がやって来てペアーでカクテルにするも良し、ハードリカーで酔ったふりをするのもこれ又良ろしいでしょう。BGMは勿論大人の雰囲気でボサノヴァといきたいもんです。
心 Inner Cosmos
自分て一体何だろう、なんて考えた事ありません? 中国、韓国、東南アジアにアイヌからポリネシア迄全部、血の中に入っていて、神道から仏教、モハメッドからキリスト教迄一応理解出来た上に、西洋的にも日本式にも思考出来るこの私は、いや我々はどういう人間なんだろうと思ってしまいます。出来る事なら心の中を覗いてみたい、内なる宇宙へ旅してみたいと思います。そこでどんな自分にあえるのか怖いような楽しみの様な。こんな事考えると、又眠れなくなりそうです。
タンゴ・クラシコ Tango Classico
タンゴの根強い人気の中で、何時も話題の中心になるのがアルゼンチンのバンドネオンの名手アストル・ピアソラの名前だろう。僕も、映画監督の斉藤耕一さんに薦められて聴く様になってから25年は経つ。 彼の特徴は、あのリズム感と意表をつかれるハーモニーに有ると思うのだが、そのピアソラに一度だけ逢った事が有る。 もう今から30年程前になるだろうか、ヴェネズエラの音楽祭に参加した時の事だ。確かゲストミュージシャンとして招かれていたピアソラが、リハーサル室の机の前で譜面か何かを直していたその前で、しつこく質問をしていた新聞記者を突然ぶん殴った。 一体どんな質問をしたのかは知らないが、よっぽど気に食わなかったんだろう、逃げ惑う新聞記者の足を後ろから追いかけながら蹴っ飛ばしていたのには驚いた。日本だったら一寸問題になりそうなこんなシーンも、いかにも直情径行型の音を書く彼らしくて忘れられない光景として頭の中に残っている。そんなピアソラを懐かしく思い出しながら作りました。
響(ひびき) Resonance (サントリーウイスキー響 CM曲)
前世紀の半ば位まで音楽家の関心事は、如何に音を美しく整えるかに有った。音の響きと言うものは、自然界の法則に基いて構成されているもので、それに敢えて逆らうものは神の摂理に従わぬ不届き者と言う事になるのだろう。 逆に、現代の作曲家達は如何に音の中に不純物を取り込むかに腐心しているかに見える。不協和音をずーっと聴いて来た後のなにげない単音の美しさ。天使の様な響の後のぶつかりあったハーモニーの新鮮な驚き。音楽とは強と弱、緊張と平和、美と醜の対立の中に生まれて来るものなんだろう。 と言うか、ま、そう言う音楽をいつも響かせていたいなーと、思ってしまう。
きらめきの渓谷(たに) Crystal Valley
子供の頃、神田川の清流のそばで育ったせいか、今でも地方にコンサートへ行って美しい小川の流れを見ると、嬉しくなってしまう。車から降りて行って水の中に足を浸けたいと言う欲望をどうしても押さえ切れなくなるのだ。 しかし、どんなに綺麗な川でも僕にとってはサイズが問題で、ジャブジャブと入って行ってすぐ向こう岸に渡れる様な大きさがよくって、利根川や荒川の様なサイズはどうも駄目だ。そして、さらさらと流れる清き流れに、水藻なんかがたゆたっていれば、ますます申し分ない。勿論、太陽が水面にきらきらと反射して、眩しかったりすると、もっと嬉しいし、小魚がジャンプをしてクリスタルの水紋を描いたりしたら、これはもう一日中幸せな気分でいられる。 いつか、そんな土地に住んでみたいと、思いながら何十年かが過ぎてしまった。何時になったら逢えるんだろう、僕のクリスタルヴァレー。
想い出のワルツ Old-fashioned Waltz
こんな仕事をしていると、人づきあいも上手だし、パーティとか出たりしてひらひらしながら毎日を気楽に過ごしている様にみられがちだ。お酒もそんなに強くないし、歌はどっちかと言えば音痴で、ダンスにいたっては全く駄目です等と言うと、大抵の人はへーと言う顔をする。 ま、音痴は一寸大袈裟で、酒の方もやや嗜む程度は行くが、ダンスは本当に駄目なんですねーこれが。音楽家なんだからリズム感は良い筈だと言われれば、それは真にその通りなんだが、リズムもこれ又あまりにも几帳面過ぎると駄目みたいで、少しルーズに踊っていて何処かでなんとなく帳尻が合うのが正しいダンスへの取り組み方の様です。 そんな私ですから、フォックストロットを踊っている人なんかを見ると感心してしまいますし、ワルツなんかをクルクル踊っている人なんかを見るとまるで宇宙人の様に見えてしまったりします。と言う事でせめて、曲でも作って見ようかなと言う訳です。さあさあ、皆で楽しくワルツを踊りましょう。
やすらぎを求めて…… Serenity
病は気から、などと良く言うが、現代医学でもどうやらそれは或る程度までは正しいらしい。ストレスが癌を始めとして色々な病気を引き起こす事は良く知られているし、ワッハッハと笑いながら病気を治した人も沢山いる。 音楽畑のアルバムを聴くと、心が安らぎます等と言うお便りを頂戴する事が有るが、どうもこの仕事は人に安らぎを提供しながら、自分はストレスにどっぷりとつかっているんだなー、等と高血圧の薬を呑みながら、考えてしまう今日この頃であります。
モーニング・ブリーズ Morning Breeze
(FM NACK 5『トレンディー・ブリーズ』エンディング・テーマ曲)
家の母はどちらかと言えば引っ越しが好きで、生まれてから芝白銀三光町、吉祥寺、新宿若松町、洗足の同じ町内で二回と、都合五軒も動いた。その中でも矢張り一番印象に残っているのは吉祥寺の家だろう。幼稚園から高校生までと長い期間住んだせいも有るが、なんと言っても武蔵野の面影を残す広い野原のど真ん中と言う環境の良さに加えて、当時ではまだ珍しい赤い屋根に白い壁の西洋館。西に富嶽を望み、南は祖父が子供達の為に造ってくれた果実園、遊び場は東に開ける芝生畑から近所を流れる神田川までいくらでも有った。
二階からの眺めは絶景で風通しが良いことこの上なく、夏の午後なんか四方を開けっ放しで寝っ転がっていると、気持ちの良い風がすーすーと通ってまさに極楽だった。
ま、日本はもともと湿気が多いから、風通しの良さということを非常に重要視する訳で、開け放った窓から涼風が吹き込んで来れば、うん極楽、極楽と目を細める事になるがフランス等ではこれは、クーランデールと言って非常にいやがる。兎に角風通しの悪い様にわざわざあちこち閉めて歩くのだから面白い。所変われば品変わると言う奴だ。そう言う意味から言えば吉祥寺の家はあまりフランス人向きではなかったと言う事になる。朝のそよ風に心地よく顔をなぶらせながら散歩する等と言うのは、もしかするとフランス人から見ればとんでもなく不健康な事なのかも知れない。
※このライナー・ノーツは、CD制作当時に書かれたものです。