収録曲
- 1.
地球は今、病んでいる。何処がどう悪いと判らないまま、少しずつ身体のあちこちをむしばまれている。
このまま放って置くと、地球は生命体の住めない死の惑星になってしまうのかも知れない。勿論人間には知性というものが有るから、黙って手をこまねいている訳では決して無い。フロンガスを廃止したり、動植物のサンクチュアリーを作ったり、植林をしたり、地球環境を守るために、あらゆる手段(てだて)をつくそうとしている。
間に合うかもしれない。もしかするともうおそいのかも知れない。一つだけ確実に言える事は、毎年地球上から、いくつかの種(シュ)が絶滅して行く事だ。
今年はもしかしたら、トキがいなくなるのかも知れないし、来年はマナティで、次の年は桜草の番かも知れないのだ。どんなに科学が進んでも、決して人間の手では作り出す事の出来ない、愛すべきさまざまな生物(イキモノ)達。このアルバムは、そうした、はかない、愛すべき地球と地球上のすべての生物に捧げる、僕のささやかなオマージュで有る。
小さな天窓から、真昼の月が見える。鳥籠の中から見上げる少し色褪せた半月は、羽をひろげて飛んでいる鳥の様にも見える。あの月の様にもう一度大きく羽をひろげて、大空を自由に飛びまわりたい……と思ってしまう。燦めく真夏の空を、黄金色に染った晩秋の森の上を、粉雪降りしきる平原を、大勢の仲間達と何処までも飛んで行きたい……。淡紅色の風の様に。
人魚と言えば、まず一番に想いだすのが、コペンハーゲンに有るアンデルセンの人魚だ。飛行機が、北極ルートやら、シベリアルートやらを使う様になってからは、すっかり御無沙汰してしまっているが、昔は、日本からのヨーロッパ線の最初の寄港地はコペンハーゲンだった。
大きなデューティーフリー・ショップや、サウナなんかが有って、旅人達が疲れを癒すには、最適の空港の一つだと思う。町も清潔で明るい素敵な町で、一ケ月程滞在したから、レンタカーであっちこっち探検して、すっかりおなじみになった。勿論、人魚の像の置いて有る入江は、ハムレットの城に行く途中の道筋で、良くボヤーッと一人の時間を過した、お気に入りの場所で有る。
人魚の銅像はかまわないけど、絵に描いたヤツは、シッポが魚で、それもなんか大抵は、おいしそうな切身の感じで、そこに美しい人間の上半身がくっついているのは、頭が混乱していやだなーと、何時も思ってしまう。だから、人魚のイメージのもとになったマナティの愛嬌の有る顔を見ながら、「お前の方がずっと、いい女だよ」と、言ってやる事にしている。
「我国は、草も桜を咲きにけり。」小林一茶。
桜に対する日本人の特別な感情がこもった句だと思う。又、自然の恵み豊かな日本を、ほこらしく思う一句でも有る。
その豊かな自然をほこった日本の、何処にでも咲いている有りふれた野の草が、今一つ一つ姿を消そうとしている。
サギ草、ムラサキ草、桜草……。小さくて、はかなくいとおしいものは、強者の論理の前には、消えさって行くしかないのだろうか?
熱帯雨林にしても、フロンの問題にしても、後発国から見れば、先進国の連中が散々勝手な事をしておいてから、今更何言ってんだと言う事なんでしょうけれど、灰になってしまったアマゾンの熱帯林の面積が、88年までで60万平方キロと聞くと、これは大変な事だなと思う。そう言ってピンとこない人にも、フランスより一寸大きな面積の森がすでに消滅してしまったと言えば、問題の深刻さが判ってもらえると思う。
全体で500万平方キロといわれる巨大なアマゾンのジャングル。どんな生物がそこで生きているのか、まだ全部が明らかになった訳では無い。どんなものが飛び出して来るかお楽しみ、という事で、地球のビックリ箱、いやもしかしたら、生命の綱を、大事にしましょう。
昔、美人の事を、立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、等と言ったが、今風イイ女の代表とも言うべき、モデル嬢の歩く姿は、なんとラクダにたとえられる。
「キャメル・ウォーク」。そうあの上下にゆれながら歩いて来る姿が、駱駝に似ていると言う事なんだろうが、あの歩き方を駱駝歩きと申します。ラクダなんて、丈夫で、何頭でもいるじゃないか、三原山にだっているだろうなどと、おっしゃるなかれ。ラクダはラクダでも、ゴビ砂漠に500頭しかいないという。フタコブラクダのお話なんです。
最新科学情報を一つ。鯨と駱駝は、同じ祖先だそうです。信じます? ホントの話です。
珊瑚礁、コーラル・リーフ、どの言葉も涼しい風がスーッと吹き抜けて行く様な素敵な響きが有る。白い珊瑚礁、青い珊瑚礁、赤珊瑚に黒珊瑚と、色も又、色々有る。
小さな虫のしかばねがつもって出来たと言ってしまえば、夢も希望もないが、数cm出来るのに1年かかると聞くと、それも又すごいなと思う。美しい青い水をたたえたラグーンを楽しみに行くのも良いけれど、ポキンなんてやったり、何処かの新聞社みたいに、ひっかいたりしちゃいけませんよ。もしかすると、君の生きている間には、元にもどらないかも知れないんだから。
美人薄命とか、美しきものは儚きものだったりして、どうも奇麗なものや、完璧なものは、迫害される傾向に有る。
普通の豹だって、すぐに敷物にされたりするんだから、パンテーラなんか本当に大変なんです。何ってったって、斑紋の中に又小さな斑点が有って、本当に美しいんですから、「南米のトキ」と言われている……かどうかはたしかでは有りませんが。みんなでパンテーラを守ろうぜ、とサーカスも歌っておりますが、もしかするともう遅すぎるのかも知れません。
パリ留学時代の夏休みは、良くあちこち旅行をした。来る時の船の中で仲良くなったフライブルグの友人を訪ねたのが、59年の7月。石にかこまれたパリから出掛けて行った僕にとって、ドナウエッシンゲン迄、何処までも続く針葉樹の黒い森は、本当に心にしみた。欝蒼とした森の中を散策すると、心は何時しか、グリム童話の世界に入って行く。近所には、ファウスト博士の家が有ったりして、ビールのジョッキを片手に、ここはまさしくドイツ。
最近、友人が見せてくれた「黒い森」の写真を見てびっくり。まるで墓標の様な、枯木の林、林。50%以上が酸性雨にやられてるという。これじゃ、ヘンゼルとグレーテルも、道に迷わないよね?
故郷(ふるさと)の草原にやすむオオムラサキ一羽。涼しげな夕風に吹かれながら、まどろみの一刻(ひととき)。何時しか夢は大空に、友をさがしてヒラヒラと舞い上る孤独の蝶。山を越え、森を抜けて、そこは色とりどりの花咲き乱れる野原。無数の蝶の舞い群れるここは、この世の楽園か。白、黄色群れ飛ぶ中、紫色の虹にかこまれて、高みに昇って行く、オオムラサキ。何時しか日も暮れて、あたりは一面の月の光。仲間と共に目指すは、煌々たる満月。紫色の虹が一直線になって、月面に吸いこまれたと思ったその瞬間、ふと夢からさめる。目覚めれば、もとの草原。夜風に吹かれて哀れ、孤独の蝶、オオムラサキ只一人。
※このライナー・ノーツは、CD制作当時に書かれたものです。
LINER NOTES